座右の銘 | そのうちトライリンガル

座右の銘

彼女と別れて1月以上が経って,そのショックとか言われたことのヘコみはなくなった。ただ,幾分自分を見つめなおす契機になったのか,最近自分で気づく自分の「イケてないところ」が多くなった。


社会人になってから,自分の仕事に満足できたことがなく,常に理想とのギャップを感じている。ただ,改めて振り返ったとき,ギャップを感じながらも抜本的にそれを解決できるようなことをやってこなかったと思った。何がいけないのか,問題を解決して上を目指すにはどういう心構えでいて,その上で何をやっていかないといけないのか,気持ちが続かない原因は何か,モチベーションを保つためには具体的にどう行動することが必要か,などといったことを本気で考え取り組んでこなかった。


恥ずかしい話だが,自分がこれまでの人生でいちばんうれしかった瞬間は大学に合格した時だ。1年浪人したが,現役のときの受験結果から考えると信じられないようないい結果だった。そのときにはじめて,やれば結果が出るということ,自分は継続して努力できるんだということを実感し,大きな自信になった。


ただ,その後11年,それだけの満足感を得られてこなかった。それは当時の自信を過信して努力を怠ったからに他ならないと思う。「やればできる」という思いだけあって,肝心の「やる」が抜けていた。


この何年もの間もどかしさを感じる中で「やろう,努力しよう」と思ったのにできなかったのはなぜかと,ようやくそれを考えた(もっと早くこのことを考えておくべきだった)。11年前にできたのに大人になった今できないのはなぜか,と。11年前との決定的な違いはなんだろう,と。


「悔しさ」だった。ヘンな話だが,現役で1つも大学に受からなかった時,別の高校に行った中学の同級生が自分が落ちたよりも偏差値の高い大学に合格していた。中学時代は1度も成績で負けたことはなかった子だった。この3年間自分は何をやってたんだろうと,後戻りのできない結果に眠れず布団にもぐって敷布団を何度も殴った。その悔しさだけは忘れないようにしようと誓い,勉強を再開した。自分を奮い立たせるために,「復讐」という言葉を掲げ,この結果になった原因全てに復讐しようと決めた(具体的にその対象はなかったが)。


浪人時代は通信添削をやっていたが,あるとき通信欄で「復讐」のことを書くと,先生が「“捲土重来”を誓い,“臥薪嘗胆”の日々を送る」という言葉を書いてくれた。「一度敗れたものが勢いを盛り返してくること」「復讐の念に燃えて多くの困難に耐え忍ぶこと」。まさに自分にぴったりだ,と勝手に思い,紙に書いて卓上カレンダーに貼って自分を鼓舞した。


その後無事に合格しうれしさを味わうことができたが,自分を鼓舞してくれた言葉を書いた紙は捨てずにおいた。今も机の引き出しに入っている。


それからずっとこの言葉は自分にとっての座右の銘だし,行き詰まりを感じるたびに紙を見返していたが,それを体現できていなかった。それが11年前とのいちばんの違いだ。



浪人が決まった時に感じた悔しさなどは,今から思えばかなり偏った思いだ(成績でしか物事を考えられなかったのは恥ずかしい)が,それをバネに変えた気持ちの強さは今の自分に欠けていると思う。今は,とにかく悔しさを深く感じて,「捲土重来を誓い,臥薪嘗胆の日々を送る」しかない。このままでは自分が思い描く30代はやってこない。


すいません重い話でした。